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元リケジョがママになりました。

元研究者の、ちょっと変わった視点で見た「世の中」を綴ります。

イマドキの子供たちは、考えられない?遊べない?ー遊びを考察してみる

こんにちは、コガです。

長女は3歳、次女は1歳5ヶ月になり、だいぶ活発になってきた今日この頃。

ふたりともお出かけが大好きなので、毎日毎日お出かけをせがまれます。
なので、ほぼ毎日、どこかしらに出かけています。

・屋内型親子広場
・屋内型ショッピングセンターの無料で遊べる広場
・近所の公園
・おばあちゃんの家
すみだ水族館
・お友達のお家
・近所をお散歩

↑こんなかんじ。

屋内型親子広場はそこまで広くないながらも、走ったり飛んだり転がったりとアクティブなこともできるし、様々なおもちゃや手先を使う工作、良質な絵本があるので、かなりお世話になっています。
お友達と一緒に遊んで、泣いたり笑ったりケンカしたり仲良くしたりも経験できるし、0〜3歳の子供たちが入り混じって遊ぶことができます。
シルバー人材のスタッフさんも常駐していて、よく子供を見てくれます。
よく見てくれるけど、手出しすることは少なく、かなり子供の自主性を重んじてくれる、やさしいスタッフさんたちです。
ほんと、親子広場様々。

そこのスタッフさんと、「イマドキの子供たちの遊び」についてお話したことがあります。

「昔の子供たちは、遊具とかがない広場に連れて行かれても、自分たちで考えて、鬼ごっこやったりドロケーやったり、木登りしたりして遊べたのに、イマドキの子供たちは遊び方が分からないみたいで、何にもできないのよね。」

「公園の木で子供が木登りしていたら枝が折れて落っこちて骨折したんだけど、その親は『木があるから危ない、木を全部切れ』って言うのよね。昔の子供たちは危ないことを経験しながら、考えて判断できるようになっていったものだけど。」

なるほど、公園に行っても、公園で携帯ゲーム機で遊んでいる子、遊具に列を作って順番に遊んでいる子、ボールを持ってきてサッカーしている子はよく見るけど、鬼ごっこやかくれんぼ、だるまさんがころんだなどの、無駄に走り回る系の遊びとか、木登り、木の身や虫集め、ひたすら穴を掘るとかの、自然をふんだんに利用するような遊びをしていません。

たしかに、ちょっと見た感じでは、遊びを考えて作り出す力が欠如しているような気がしないでもない。

でも私達の頃はどうだったのか?

私の子供の頃の記憶では、少なくとも私は、遊びを自分で考案したことはありません。遊びといえば、
①友達に教えてもらった
②幼稚園や学校の先生に教えてもらった
③兄やその友達など、年長者のマネをした
④通りすがりのおっちゃんが教えてくれた
⑤ばあちゃんが教えてくれた(両親は共働きだったので、同居の祖父母が面倒をみてくれました。)

つまり、私達だって、自分たちで考えて遊びを作り出していたわけではないんですよね。別に、遊び方の今昔を比較して、イマドキの子供たちのほうが「考える力がない」という結論にはならないと思うのです。

(もちろん、私や親子広場のスタッフさんの知らないところでは、昔の遊びをしている子供たちがいっぱいいるかもしれません。一部を見て、子供をひとくくりにするのは危険ですね。)

ではなぜ、昔の子供たちがしていた遊びを、できない子供たちがいるのか。
ちょっと考えてみました。

①年長者など、学年の垣根を超えた集団で遊ぶことが少ないから、遊びを教わっていない。遊び方を知らない。
②親、祖父母、学校の先生、そのへんのおじさんが教えない。
③塾や習い事により遊びの機会が減っているので、遊びを知る機会も減っている。
④おもちゃやゲーム、遊具やボールとかキックボードなど、遊びの種類が豊富で、手に入りやすいので、そちらで遊ぶことが多い。

お年頃の子供に聞いたわけではないので完全に私の勝手な想像ですが、このようないろんな可能性があるんじゃないかと思うのです。

私も含め、年を取ると昔の自分たちを美化してしまいがちですが、イマドキの子供たちだって、イマドキの環境の中でできることを楽しんでいるはずです。急に慣れない環境(何もない草っぱらとか)に連れ出されて遊べっていわれたって、そりゃ困るでしょう。知らないものは知らないのです。慣れてないことには戸惑うのです。

昔の遊びは「考える力」「生きる力」を育むから、ぜひやったほうがいい、という考えを持つ人も増えてきています。スポーツよりも外遊びのほうが、不規則で複雑な動きを多くしたり、転ぶ経験ができるといいます。おもちゃやゲームよりも自然の中で遊んだほうが、多様な生き物や物体、得たいのしれないものに出会って知識も危険予知能力も育まれるといわれています。
最近では、昔の遊びを楽しむイベントや、自然教室、遊び教室のようなものもちらほらみかけるようになりました。

昔の遊びって凄くいいんだよ! という風潮になると、ちょっと冷静に考えてしまうところがリケジョな私の悪い癖で、「そこまで昔の遊びに飛び抜けたメリットがあるのだろうか」と思ってしまうのです。鬼ごっこじゃなくても、木登りじゃなくても、遊具とかサッカーでもいいんじゃないの?スポーツに無い複雑な動きは、大人になった時にどれだけの効果があるの?危険予知能力は、遊び道具をつかった遊びとか、料理とか他の行為で補えるんじゃ?

私は、「遊び」自体は、イマドキのものも昔のものも、どちらも価値があると思っています。鬼ごっこだってサッカーだって、ジャングルジムだって木登りだって、ダンボール滑りだってストライダーだって、体も頭も動かします。ゲームもトランプもメンコもレゴも、それぞれに良いところがあるはずです。どんな遊びでも、時代や環境が変われば、必然的に遊びのカタチも変わってくるはずです。

今の時代、私の住む街だけかもしれませんが、公園で遊んでいる子供の数はずいぶん減ったように思います。働くママが増えて学童を利用している子供が増えたり、小さい頃から塾や習い事をする子が多いとか、インドアの遊びが増えているのでしょうか。
公園をみてみると、親子(単独の親子)で遊びに来ているパターンと、友達同士2〜3人のグループで遊んでいるパターンが多いです。そしてほとんどが小学校2年生以下。
そりゃ、鬼ごっこやってもつまらないよね。
木登りできるような木も無いし(高い木ばかり)、綺麗に整備されていて、ダンゴムシすら見かけない。公園の周り中アスファルトの住宅街だからか、公園で自然体験ができないのです。
昔はあった畑も田んぼも、立ち入れる用水路も側溝も無い。オタマジャクシもザリガニもミミズもてんとう虫も、すっかり図鑑やテレビの中の生き物になってしまいました。
こんな環境。必然的に、この環境に合わせた遊びが流行って、この環境に合わない遊びは忘れられていくでしょう。

昔の遊び教室とか、自然体験教室等は、子供にとってはとても貴重な経験になると思います。これをきっかけに、新しいなにかを作ったり、始めてみたり、興味をもって調べたり、その道に進んだり、大きな収穫になることだと思います。
でもその体験をした子供が、日頃から昔の遊びをしたり自然で遊ぶようになるかといったら、そうはならないでしょう。その環境が近所に無いからです。教室をやったとしても、昔の遊びの中にあるメリットを子供に受け継ぐことは難しいでしょう。

子供たちの運動能力低下が叫ばれています。これも「昔の遊び」の魅力を上げる要素になっていると考えられます。
文科省では子供たちの運動能力の変化をグラフ化して公表しています。

http://www.mext.go.jp/b_menu/toukei/chousa04/tairyoku/1261241.htm

数年前までは運動能力の低下が見られましたが近年ではかなり向上しています。
私達が子供の頃と同じレベルのようです。学校の努力でしょうか。スポーツ関連の教室やクラブが増えたからでしょうか。
とにかく、運動能力に関しては、遊びのカタチが変わっても大丈夫そうです。
(運動能力検査では測れないところに問題が潜んでいる可能性はありますが。あとは、もし運動能力格差みたいなものが潜んでいるとしたら、問題がありそうですね。)


「昔の遊び方」にある、いちばん価値のある要素って、本当は、「学年を超えた交流」なんじゃないか、と思うのです。昔は、上下2歳差くらいであれば普通に一緒に遊んでいました。親同士の近所付き合いがあったから必然的に子供同士でも遊んだ、っていうパターンもあるし、私には2歳差の兄がいるので、兄の友達の家にひょこひょこついていったり、というパターンもありました。
今はというと、近所付き合いは極端に減ってしまっていますし、保育園なら1歳前後から、幼稚園なら3歳から、ずっと学年で区切られた状態で成長していくのです。休み時間の外遊びのように色んな学年の子供がごっちゃになったとしても、同い年がたくさんいる環境では、同い年がまとまりやすいので、年が違う人との交流はほとんどありません。
昔のような、1〜3歳差の子供が3〜5人集まって遊ぶ、という環境は、ほとんど見なくなってしまいました。

1〜3歳差の子供が一緒に遊ぶことで、年少の子は年長の子のマネをする、という構造ができます。
子供ってほんと人のことをよく見ているもので、年長の子がやることを観察して、それをやってみたい、自分にもできるだろうか、どこが難しいポイントなのか、どういうところで失敗するのか、失敗したら痛いのか、など、いろんなことを考えています(いるようです)。考えながら、マネをして、遊びを覚えていきます。
面白い遊びを覚えたら(できるようになったら)、同学年の子や、自分よりもっと年少の子もまきこんで遊びます。
こうやって、遊びの連鎖は簡単につながっていくのです。

親子広場にいると、そんな遊びの連鎖をよく目にします。子供の胸くらいの高さの台(トンネルみたいな遊具)からぴょんぴょん飛び降りるのが一番人気な遊びですが、歩き始めたばかりの1歳前後の子だって年長さんの真似をしたがって台によじ登ります。でも怖くなってそろそろと降ります。1歳でももう危ないとか怖いという判断ができるんですね。
年長さんたちがおままごとをし始めれば、それにくっついていっておままごとセットをいじったり並べたりするし、年長さんたちがお絵かきを始めれば、まねっこして鉛筆をもって紙にグリグリとかきはじめます。いいこと、悪いこと、危ないこと、面白いこと。多くのことを、年長さんたちから教わるのです。

学年を超えた遊びというのは、年少の子にしてみれば、いい刺激になるし視野がぐんとひろがります。年長の子にしてみれば、自分より幼い(能力の低い・未熟な)子供への優しさやお世話の気持ちが育まれたり、時には追われるものとしてのプレッシャーをうけたりと、やはり視野が広がり、いい刺激になると思うのです。

昔はけっこう多かった、こうした縦の関係。
私は、価値があると思っています。
難しいことかもしれないけれど、学年を超えて遊べる環境を作って、子供たちにプレゼントしてあげたいな、と思う今日この頃です。

遊び図鑑―いつでも どこでも だれとでも (Do!図鑑シリーズ)

遊び図鑑―いつでも どこでも だれとでも (Do!図鑑シリーズ)

※これはここ25年で人口がかなり増えたベッドタウンでのお話です。25年前は畑と田んぼと用水路だらけ。今はほぼ住宅地です。こんな環境ならではの話題なのかもしれませんね。主人の実家は山あいの町ですが、今でも近所付き合いや親戚付き合いが濃くて、縦のつながりがあります。